奈良県と大阪府は金剛・葛城の山で東西に分かれていますが、その東側、金剛・葛城山麓を南北に葛城の道(葛城古道)と呼ばれる古道が今も残ります。(詳細は下記ご参照ください!)この道はとても古い歴史を持ち、私たち日本人のふるさと的な場所で、神話も多く、特に天孫降臨の伝承地・高天原として有名なのです。
     ウォーキングのコースは風の森バス停から近鉄御所駅までの約14-15㎞を南から北へ向かう山麓コースで、数々の神話の舞台となった神々の里をたずねる神秘的な道です。(逆コースにすると登りが増えます。)特に印象的な場所をあげると、高天彦神社~橋本院間、一言主神社~九品寺間です。お勧めの季節は彼岸花が咲き乱れる9月下旬や紅葉の美しい11月下旬です。


    おすすめのポイント
  • 神話の道、パワースポットを歩く
  • 高鴨神社は全国の鴨(加茂) 社の総社
  • 杉の巨樹が茂る高天彦(たかまひこ)神社参道は、神秘的な雰囲気
  • 天照大神(あまてらすおおみかみ)が統治した天上界 「高天原(たかまがはら)」の伝承地
  • 古い町並みの残る長柄集落を歩きます
  • 神々しい雰囲気漂う一言主神社の本殿と大銀杏
  • 奈良時代の僧、行基が開いた九品寺の千体石仏


    葛城の道(葛城古道)ルートの解説
     風の森バス停を始点に歩きます。風の森は御所の町から南に行った緩やかな峠を言います。そこから西の山側へと少し登り高鴨神社を目指します。この神社のそばに「葛城の道歴史文化館」(現在緊急事態宣言の為閉館中です)と「そば小舎」というおいしい蕎麦屋がありますので、葛城の道についてまず予習をして、昼前なら腹ごしらえもしてみてはいかがでしょうか。

     高鴨神社の後は、見晴らしがよい場所にある伏見池を経て、西へ折れ山道の参道を登り高天彦神社へ、この神社には本宮がなく背後の円錐型の山がご神体のようです。ここからは北側へ畦道を下り橋本院の手前にあるトイレの手前の、天孫降臨の伝承地「高天原」で神聖なる気持ちになってみましょう。橋本院は手入れされた「瞑想の庭」は、色々な花を見ることができます。この庭を通り抜け奥のアジサイの道を過ぎると獣除けの扉があり、そこから山道を下ります。一度舗装路に出て釣鐘を備えた山門「鐘楼門」が値を引く極楽寺と続き、ここから一望できる奈良盆地もきれいです。

     山から下りると舗装路に戻り長柄の町並みへと続きます。御所最古の中村家住宅や趣のある古民家、片上醤油などの街並みが続きます。街並みの最後の左手に鳥居があります。この鳥居を抜け坂道を登ってゆくと、一言だけ願いを叶えてくれるという一言主神社があります。ここからはまた畦道を歩き高丘宮跡を経由して九品寺に到着。本堂の裏を登ってゆくと「千体石仏」がありますが、とても見ごたえがあります。最後は再度舗装路に戻り六地蔵石仏までが葛城の道とされています。

    [ルート] 風の森バス停→葛城の道歴史文化館(10時~16時、月曜日休館)そば小舎→高鴨神社(全国の賀茂社の総社)→伏見池→高天彦(たかまひこ)神社(ご神体は山、天孫降臨の地高天原)→橋本院→極楽寺→長柄集落、中村家住宅(年代の判明する現存2番目に古い民家)→一言主神社(ひとことぬしじんじゃ/縁結びの神)→高丘宮跡→九品寺→六地蔵(千体石仏)→近鉄御所駅


葛城の道(葛城古道)の主なスポット
    【高鴨(たかがも)神社】
     本殿は三間社流造りで、国の重要文化財に指定されています。祭神は阿治須岐託彦根命(あじすきたかひこねのみこと)です。またこの地にいた鴨族と言われた人々は、政争いにかかわりたがらず、農耕の民として高鴨神社の祭神を最高神として崇めました。開拓精神旺盛だった鴨一族は新天地を求めて全国に分散し、賀茂と称する郡名が全国に28例もあります。なかでも京都の賀茂神社(上賀茂神社・下鴨社)は平安時代に皇室から崇敬されて有名になっています。
    【伏見池】
     御所市の山麓線沿いにあるこのため池は、今でも地域の田んぼにとって貴重な水源です。覗き込めば、ため池と共にこの地域が歩んできた歴史が、走馬灯の様に映り込んでくるようです。 秋には黄金色の稲穂や、真っ赤な彼岸花が緑色のため池を取り囲み、素晴らしいコントラストが写真映えします。
    【高天彦(たかまひこ)神社】
     高天彦神社は金剛山系に連なる白雲岳という山の麓に祀られた神さびた古社で、大昔にこの山中の聖林で行われていた祭祀が神社の起源であると言われています。この御所市の山麓一帯は、日本神話に登場する天孫降臨の舞台・高天原であるとの伝説が残る地として知られています。葛城王朝を築いた葛城一族の祖神を祭するこの神社は、今も伝説の地にふさわしい神さびた風情を周囲に漂わせています。
    【高天原伝承地】
     神々が住まうとされる高天原。『古事記』『日本書紀』によると、天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれた際、大変麗しい御子だということで高天原の統治を託されたとされる。高天彦神社の前に広がる台地一帯がその高天原の伝承地だという。見渡した奈良盆地は手を伸ばせば届きそうで、格別な眺め。上り坂の労苦も一瞬にして忘れさせてくれる景色です。
     高天彦神社から北東へ600mほどのところには「高天原伝承地」の碑が建ちます。すぐ近くには、花が多くとても手入れされた「瞑想の庭」のある、鑑真和上ゆかりの高天橋本院もあります。
    【中村家住宅】
     名柄村はもと藤原不比等の所領でしたが、興福寺に寄進され、後に幕府領となり宿場町として栄えました。旧街道沿いに古い民家が軒を連ねていて、江戸時代の雰囲気を色濃く残っています。中村氏邸は御所市内最古の建物で、吐田城主だった吐田越前守の子孫にあたる中村正勝が慶長期(1596~1615)に建てたと推定されています。江戸初期の家の造りを今に伝えるこの建築物は、全国的にみても歴史的価値の高いもので、国の重要文化財にも指定されています。
    【一言主(ひとことぬし)神社/縁結びの神)】
     願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。祭神は、古事記や日本書紀の中に見える事代主命です。雄略天皇が葛城山で狩をしている時、この神は天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申されました。天皇はひれ伏し、その後、共に狩を楽しんだとされています。しかし、続日本書紀によれば雄略天皇と狩の事でいさかいを起こし、四国の土佐に流されたという事です。その後許されて葛城の高宮付近に祀られたと記されています。
    【九品寺】  ※9月下旬頃、九品寺北側の彼岸花が素晴らしい!
     九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基です。九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で、人間の品格をあらわしています。上品の中にも上中下があって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。全部で九つの品があるので九品と名づけられています。その九品寺のご本尊は木造阿弥陀如来像で、国の重要文化財に指定されています。
     楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠木正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、一族は身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、本堂の裏山を登ったところにある千体石仏です。
    【六地蔵石仏】
     室町時代に豪雨によって、安位川が氾濫して、大災害が発生しました。そんな天変地異に村人は信仰心から仏教に救いを求め、災害によって流れ着いた大きな石に六地蔵を彫り込んだものと伝えられています。六地蔵とは仏教で言う六道で、人間が死ぬときいずれかに行くものと考えられていました。
     向かって右から
  • 天上道(日光菩薩)
  • 人間道(除蓋障菩薩)
  • 修羅道(持地菩薩)
  • 畜生道(宝印菩薩)
  • 餓鬼道(宝珠菩薩)
  • 地獄道(壇蛇菩薩)
  • となっています。


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