柳生街道を歩いてきました。
     柳生街道は①滝坂の道②剣豪の道③柳生・笠置の道と3つのパートに分かれますが、今回は見どころが多く最も険しい②剣豪の道を歩いてきました。
     近鉄奈良駅からバスで忍辱山(にんにくせん)バス停へ向かいました。利用したバスは、奈良交通バス 【94系統石内(月ヶ瀬)行】近鉄奈良9:19発、忍辱山9:46着(660円)。バス停からすぐの場所に重要文化財豊富な円成寺(えんじょうじ)を拝観しました。歴史や神社仏閣好きな方なら、拝観料500円分の価値は十分にあると思います。拝観されない方も池のある庭には無料で入れますので、このきれいな庭を見学する価値はあると思います。
     拝観後、柳生の里へ向けて歩き始めます。道標はとても整備されているので、見失いように歩いていれば、迷うことはなさそうでした。まず国道から右斜めに下っていくのですが、これが結構下っていくのです。ちょうど昨日雨が降っていたので、滑りやすくスニーカーなどでは滑っていたかもしれません。街道は畦道、杉林、竹林、雑木林などとバリエーション豊富です。畦道は農家の人に手入れされているところもあれば、雑草が道にかぶっているところもありました。
     ところで歩く道のバリエーションが豊富だと色々楽しめますね。畦道を歩くと何故か童心に戻った感じになって、杉林を歩くと神聖な気持ちになって、竹林は竹の軋む音に話しかけられてるようで、雑木林は木漏れ日がきれいで、という風に楽しめました。みなさんはどんなシチュエーションでどんな気持ちになりますか?
     話を戻します。円成寺を出て最初の夜支布(やしゅう/やぎゅう)山口神社までは少し時間を要しました。この間最初下りが長く雨上がりの日だったので、ここは普通のスニーカーだと滑るだろうなと思い慎重に歩いていました。後半は畦道もあって気持ちよく歩けます。神社を後にすると再度田んぼの中を歩いていると畦道横に水木古墳があります。ここからはまた長閑な里山の中を歩いてゆきます。そして只今工事中で拝観停止になっている南明寺(なんみょうじ)おふじの井戸と続きます。ここまで、阪原側になります。
     ここから山へ入り急な登りが続きます。阪原峠(かえりばさとうげ)までのこの登りが、柳生街道最大の難所です。峠を越えて柳生の里へと下ってゆくと疱瘡(ほうそう)地蔵が見えてきます。ここから眼下に柳生の里が見下ろせます。下りきって舗装路を渡り再度登って天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)と一刀石を目指します。まず鳥居が見えてその奥に巨岩がご神体の天石立神社、さらに奥に一刀石があります。アニメ「鬼滅の刃」の聖地とも言われているこの場所には多くの観光客が来ているのでしょう。写真用の刀も設置されていました。
     神社を後に下っていくと芳徳禅寺への近道があり、この道を利用して芳徳禅寺へ。拝観料は200円ですが、無人でした。今回入場しませんでしたが、奥には柳生一族の墓地があるようです。道を下って、柳生藩陣屋跡へ。いまは建物はなく史跡公園になっています。さらに足を進め歴史ある柳生の里最大の神社、柳生八坂神社を経て、お城のような迫力ある石垣の柳生藩家老屋敷を超えるとゴールの柳生バス停です。ちなみに帰りのバスは、【95系統JR奈良行】柳生15:43発、近鉄奈良駅16:37着(970円)でした。この前のバスは13:20発なので、このバスに合わすしかありませんね。


     上記行程は個人で行かれる場合の内容なのですが、こちらのツアーをガイドさんの案内で、神戸方面発着の日帰りバス旅行として神戸新聞旅行社さんが設定していますので、こちらもご案内させていただきます。
     
  • レベル:体力1、技術1
  • 日程:2021年9月24日(金)日帰り
  • 旅行代金:12,800円
  • スケジュール
  • -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
    専用バス 姫路駅(7:00)→ 神戸駅(8:15)→ 円成寺でトイレ休憩 (10:30)
    ハイキング 円成寺(10:30)…夜支布山口神社…南明寺…柳生の里…柳生バス停
    【歩行時間:約3時間、約9㎞、お弁当の時間は別】
    柳生バス停(14:30)→ 近鉄奈良駅付近(15:00)→ なら和み館(16:00)→ 神戸駅(17:30)→ 姫路駅(18:30)
    [食事:朝×、昼弁、夕×]
    -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


    お申込・お問い合わせは
    神戸新聞旅行社
    神戸:078-362-7174 姫路:079-285-3855
    営業時間:平日9:30~17:00/土日祝休み


訪問地の詳細
忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)
     拝観料:500円、柳生街道随一の名刹(めいさつ)です。境内には鎌倉時代の建築物である春日堂・白山堂(国宝)をはじめ、室町時代再建の本堂(重要文化財)、楼門(重要文化財)、平成に入ってから再建された朱色の多宝塔などが建っています。寺宝の数も多く、運慶の20歳代の傑作として知られる大日如来像(国宝)があります。平安中期の創建といわれ、国の名勝に指定されている境内の庭園は藤原時代の作庭で、舟遊式と浄土式を兼備した寝殿造系庭園で、当時の都好みを今に伝える貴重な遺構です。
夜支布(やしゅう/やぎゅう)山口神社
     「柳生街道沿い」の山里「大柳生」地区に位置する比較的大きな神社です。神社はその創建年代は不詳ですが、大柳生地区の氏神様として平安時代の延喜式に既に記されていたという由緒と歴史を有する神社で、「山口神社」という呼び名は、その他の奈良県内の山間部にも数多くみられる名前で、その名の由来としては、朝廷が宮殿などの建物を建立する際に供出する木材を切り出すにあたり、「山の入り口(山の口)」にお祀りする神様として設けられた神社となっています。なお、神社の御祭神は「素盞嗚命(スサノオノミコト)」となっています。
水木古墳
     水木古墳は大柳生盆地の南東にある直径約16mの円墳で、墳丘の周縁には1~4段の石積が廻っています。埋葬施設は横穴式石室で、石室内から土師器や須恵器、鉄鏃、馬具などが出土しました。これらの出土遺物から6世紀後半から末の古墳だと考えられています。古墳時代後期の古墳は群集していることが多く「群集墳」と呼ばれますが、水木古墳は丘陵上に単独で存在する古墳です。奈良市東部を代表する後期古墳として歴史的に重要で、学術的価値も高いと評価されています。
南明寺(なんみょうじ)
     拝観料:300円 ※要予約 0742-93-0392 宝亀2年(771年)の創建といわれる古寺。本堂(重要文化財)は鎌倉時代の寄棟(よせむね)造りで、本尊薬師如来・釈迦如来・阿弥陀如来の藤原三仏(いずれも重要文化財)が安置されています。境内には鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、室町時代の十三重石塔などがあり、近くに柳生宗矩(やぎゅうむねのり)とお藤の恋を伝える「おふじの井戸」があります。
     ※令和3年8月31日まで、文化財保護設備設置工事延長のため拝観を停止しています。境内への立ち入りはいかなる理由においても禁止されています。公衆トイレを利用する際は、裏口(北側の出入口)からお入りください。
おふじの井戸
     「おふじの井戸」は、「柳生街道」沿い、「大柳生」地区と「柳生」地区の狭間に位置する小さな盆地のような空間である「阪原(さかはら)」地区と呼ばれるエリアにある古井戸です。この井戸は、その「おふじ」というユニークな名の通り、「お藤」と呼ばれる阪原の里に住んでいた若い女性を、徳川家の剣術指南役として有名な「柳生一族」の当主であり柳生藩初代藩主でもある柳生宗矩が見初めた場所であり、少し珍しい「馴れ初め伝説」の舞台となっています。
疱瘡(ほうそう)地蔵
     疱瘡よけを祈願してつくられたお地蔵さまです。右下に刻まれた、室町時代の徳政一揆をあらわした碑文が有名です。
天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)と一刀石
     『延喜式(えんぎしき)』記載の式内社で、前伏盤(まえふせいわ)、前立盤(まえたていわ)、後立盤(あとたていわ)の3つの巨石が御神体です。前立盤は大きな扉のかたちをしており、伝説によれば高天原で、手力雄命(たじからおのみこと)が天岩戸を開けた際に勢いあまってその扉が飛び、この地に落ちたといわれるものです。神社の奥には、「一刀石(いっとうせき)」とよばれる巨石があり、天下に名をはせた剣豪・柳生石舟斎宗厳が天狗と間違えて切ったと言い伝えられていて、柳生新陰(しんかげ)流始祖のエピソードに彩りを添えています。
芳徳禅寺(ほうとくぜんじ)
      拝観料:200円、柳生家の菩提寺であり、1638年(寛永15年)柳生又右衛門宗矩 (やぎゅうまたえもんむねのり)が亡父石舟齋宗厳(せきしゅうさいむねよし)の供養のため創建したものです。開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚(漬物の“たくあん”は沢庵和尚が初めて作ったとも言われています)です。本尊の両脇に柳生但馬守(たじまのかみ)宗矩座像、沢庵和尚座像、列堂和尚義仙像(宗矩の四男)が安置されています。北側には柳生家歴代の墓所もあります。
旧柳生藩陣屋跡 (現:史跡公園)
     柳生藩主の居所跡で昭和55年6月に史跡公園として整備されました。
柳生八坂神社
     「剣豪の里」として有名な柳生エリア、「家老屋敷」や「陣屋跡」といった観光スポットに囲まれた位置にある地域最大の神社です。この神社は、江戸時代の承応3年(1654年)に柳生宗矩の子である柳生宗冬が南に離れた大保地区の八坂神社のご祭神を勧請して社殿を造り「八坂神社」とした歴史を持っていますが、それ以前から春日大社の本殿第四殿の御祭神である比売神を祀る四之宮大明神(しのみやだいみょうじん)と呼ばれる神社であったとされています。境内は比較的立派なもので、とりわけ拝殿については同じく柳生エリアにある神社であり、本殿ではなく磐座をご神体とする天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)の能舞台として用いられていた建物を移築したという歴史も持っています。ご祭神については、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、その他には天照坐皇大御神・春日比賣大神なども祀られています。
旧柳生藩家老屋敷
     入場料:350円、柳生藩の財政立て直しを行った、家老小山田主鈴(おやまだしゅれい)の旧屋敷です。豪壮な石垣がみごとで、天保12年(1841年)尾張石工が築いたと刻まれています。昭和39年、作家の山岡荘八氏の所有となり、氏の小説「春の坂道」(NHKでドラマ化)の構想を練った屋敷として注目を集め、氏の亡き後は、その意志により、奈良市へ寄贈され、館内には柳生藩、山岡氏に関する資料の展示があります。